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深草学区 大正
雀のお宿 久邇宮殿下御下賜の瓢箪
江戸時代、赤穂藩士であった先祖が当地に居を構えていた。ある時、傷ついた雀を助け、雀の棲み家として瓢箪を吊り下げた。その後も家の中や軒に瓢箪が増えていき、観光名所になった。大正時代には小学校の教科書にも掲載された。
- 伏見街道・大津街道
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深草学区 大正
雀のお宿 軒に下る瓢箪
江戸時代、赤穂藩士であった先祖が当地に居を構えていた。ある時、傷ついた雀を助け、雀の棲み家として瓢箪を吊り下げた。その後も家の中や軒に瓢箪が増えていき、観光名所になった。大正時代には小学校の教科書にも掲載された。
- 伏見街道・大津街道
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不明・その他 大正
改正新案 最新京都地図
当時の京都市の地図。 JR東海道線が旧線路、日露戦役記念碑(記念山)、軍施設などが読み取れる。
- 古地図・版画
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不明・その他 大正
電車案内京都付近圖
当時の京都付近の路線図。東山トンネル完成により奈良線が現在のようになった。昭和3年に奈良電気鉄道(現在の近鉄電車)が現在のようになるまで、旧奈良線の京都駅から伏見駅間は廃止となり、伏見駅は貨物駅となっていた。
- 古地図・版画
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稲荷学区 大正
深草土器沿革之概略
大正の御大典に深草土器(土師器)を献上したことがわかる資料
- 伝統工芸
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砂川学区 大正
大正時代の鴨川
深草向川原町より東を望む。背景に見える山は稲荷山。鴨川が改修される前の写真。
- 街並み・景観
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砂川学区 大正
馬塲染工場
深草にあった染物工場の全景
- 商工業
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不明・その他 大正
城東練兵場ニ於 武石氏ノ飛行機白鳩号 全景
深草の練兵場を目指して離陸寸前の飛行機。深草の練兵場には初期の飛行場の機能があった。
- 第十六師団と軍施設からの変遷
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不明・その他 大正
噫最後約五分前 武石浩玻氏城東練兵場ヲ発シ 深草二向フ途 八幡付近ヲ通過ノ壮景
深草練兵場を目指して飛行中。 日本最初の民間人飛行機死亡事故直前の飛行中の様子。
- 第十六師団と軍施設からの変遷
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不明・その他 大正
伏見商業学校露臺より見たる伏見市街
現在の桃山中学校から北西方面の眺め。高架は現近鉄電車。手前に見える線路は京阪電車。その間には茶畑が広がっている。右側には伏見インクラインにあった津田電線の煙突が見える。
- 街並み・景観
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稲荷学区 大正
初午の群参
初午でごった返す境内。正面に見える東丸神社と、右手は外拝殿
- 神社仏閣・天皇陵
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深草学区 大正
深草第一尋常高等小学校 入学式記念写真
現在の深草小学校。明治5(1872)年、紀伊郡伏水第一小学校として開校。明治18(1885)年に現在地に移転した。昭和22(1947)年京都市立深草小学校となった。
- 学校
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深草学区 大正
深草町第一尋常小学校
学制発布五十周年記念絵葉書セットの一枚
- 学校
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稲荷学区 大正
深草第二尋常小学校校門
創立初期の深草第二尋常小学校(現稲荷小学校)の校門
- 学校
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稲荷学区 大正
深草第二尋常高等小学校の校章
深草第二尋常高等小学校(現稲荷小学校)の校章
- 学校
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不明・その他 大正
伏見人形竈元
伏見人形の窯の様子。かわらけの製作過程がわかる。
- 伝統工芸
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不明・その他 大正
伏見人形竈元
伏見人形の説明書。
- 伝統工芸
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稲荷学区 大正
完成間近の相深橋
鴨川運河にかかる相深橋の工事中の様子。大石天狗堂の看板広告がある。右手には京阪福稲橋梁。
- 鴨川運河
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砂川学区 大正
竣工当時の綿森橋
鴨川運河にかかる綿森橋の大正12年竣工当時の様子
- 鴨川運河
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砂川学区 大正
深草土器製造風景
深草土器師「平田平右衛門」。深草土器師が、大正御大典で使用する土器を献納した様子がわかる。
- 伝統工芸
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砂川学区 大正
深草土器製造風景
深草土器工場「平田工場」。深草土器師が、大正御大典で使用する土器を献納した様子がわかる。
- 伝統工芸
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稲荷学区 大正
大正天皇御大典で使われた土器の納入行列
大正御大典に使用する深草土器を納入する行列
- 伝統工芸
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不明・その他 大正
大正天皇御大典で使われた土器の納入行列
大正御大典に使用する深草土器を納入する行列
- 伝統工芸
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不明・その他 大正
石田放光堂取次店看板(裏)
深草の名産品「岩絵の具」を製造販売していた「石田放光堂」の取次店だった大正終わり頃の看板(エビスヤ)。
- 伝統工芸
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不明・その他 大正
石田放光堂取次店看板(表)
深草の名産品「岩絵の具」を製造販売していた「石田放光堂」の取次店だった大正終わり頃の看板(エビスヤ)。
- 伝統工芸
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深草学区 大正
極楽橋
竣工当時の極楽橋。橋の奥左手に見える洋風の建物は深草町庁舎
- 鴨川運河
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深草学区 大正
藤ノ森橋
鴨川運河にかかる藤ノ森橋。大正14年竣工当時のもの。船を曳くため、高くなった三角橋と船曳道がわかる。
- 鴨川運河
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藤城学区 大正
伏見記念山 乃木大将 銅像
絵ハガキ 日露戦争の戦没者慰霊のため、明治39年に忠魂碑などが建てられた。それ以降、この地を記念山と呼ぶようになった。
- 第十六師団と軍施設からの変遷
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深草学区 大正
駈馬神事
大正時代の駈馬神事。昭和の初めまで氏子町内の未舗装だった道路上で行われていた。馬上で「馬」の字を左右逆に書いた縁起文字である「左馬(ひだりうま)」を書いている。
- お祭り・伝統行事
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不明・その他 大正
駈馬神事
大正時代の駈馬神事。昭和の初めまで氏子町内の未舗装だった道路上で行われていた。
- お祭り・伝統行事
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稲荷学区 大正
伏見稲荷神社
絵ハガキ「伏見稲荷神社」 伏見稲荷大社境内で客待ちする人力車の車夫たち。
- 神社仏閣・天皇陵
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稲荷学区 大正
(京都名所)伏見稲荷
絵ハガキ「(京都名所)伏見稲荷」 伏見稲荷大社帰路(裏参道)の鳥居と店の賑わい。明治43(1910)年以後の撮影か。
- 神社仏閣・天皇陵
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深草学区 大正
京都衛戍病院正門
絵ハガキ「京都衛戍病院正門」 昭和20(1945)年に国立京都病院になる前の施設。明治40(1907)年設立。
- 第十六師団と軍施設からの変遷
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深草学区 大正
深草練兵場より稲荷山を望む
絵ハガキ「深草練兵場より稲荷山を望む」 明治41(1908)に陸軍京都練兵場設置。戦後、民間に払い下げられて西浦町と命名。 師団街道沿いに植えられた木々。京阪電車の架線柱が見える。
- 第十六師団と軍施設からの変遷
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砂川学区 大正
京都伏見 勧進橋附近より見たる稲荷山全景
絵ハガキ「京都伏見 勧進橋附近より見たる稲荷山全景」 手前に見えるのは京電または京都市電の線路。伏見稲荷神社に向けて稲荷新道が続く。
- 交通